掌を見せるジェスチャー「ムンツァ」の諸相:承認、停止、そして深き侮辱の歴史と地域差
導入
異文化コミュニケーションにおいて、言葉を介さない非言語的表現であるジェスチャーは、時に言葉以上に雄弁に意味を伝え、あるいは深刻な誤解を招くことがあります。特に手の動きは多様な意味を持つことが多く、その解釈は文化圏によって大きく異なります。本稿では、指を広げた掌を相手に向けるジェスチャーに焦点を当て、その多様な意味合い、特に地中海地域で見られる「ムンツァ」と呼ばれる侮辱的な行為から、停止の合図や友好的な挨拶としての側面まで、その文化的・歴史的背景と学術的解釈を深く掘り下げて考察します。このジェスチャーの多層的な意味を理解することは、グローバル化が進む現代社会における円滑な異文化交流のために不可欠であると考えられます。
ジェスチャーの基本情報
このジェスチャーは、一般的に手のひらを相手に向けて指を広げる動作を指します。具体的な描写としては、腕を伸ばし、指を扇状に広げた手のひらを相手の顔や上半身の方向に向ける、というものです。
最も一般的とされる意味合いは、北米や西ヨーロッパにおいて「停止(Stop)」や「拒否(No)」を示す合図として認識されています。交通整理や人混みでの注意喚起、あるいは単純な拒否の意思表示などに用いられます。また、友好的な文脈では「ハイファイブ(High Five)」と呼ばれる挨拶や称賛の表現としても用いられ、手のひらを相手のそれと打ち合わせる動作として理解されます。さらに、指を五本広げていることから、単に「五」という数字を示す際にも用いられることがあります。
このジェスチャーが主に用いられる国・地域は広範に及びますが、その意味合いは地域によって大きく異なります。特にギリシャや中東、アフリカの一部地域では、非常に強い侮辱的な意味を持つ「ムンツァ(Mounza/Moutza)」として知られています。一方で、北米、西ヨーロッパ、日本などでは、前述の「停止」「拒否」「五」「ハイファイブ」といった、より中立的あるいは肯定的な意味で用いられることが一般的です。
文化的・歴史的背景と由来
掌を見せるジェスチャーがこれほど多様な意味を持つ背景には、それぞれの文化圏における歴史的、宗教的、社会的な習慣が深く関わっています。
特にギリシャにおける「ムンツァ」の起源は、古代ビザンツ帝国時代にまで遡るとされています。当時の記録によると、犯罪者や社会的に追放された人々を衆人環視のもとでさらし者にし、彼らの顔に汚物を塗りつけたり、灰や泥、糞便を投げつけたりする行為がありました。この際、手で汚物をすくい上げ、相手の顔に向けて投げつける動作が、現代の「ムンツァ」の原型となったと考えられています。この行為は、相手を汚し、非人間的な存在として侮辱する、極めて強い「汚名」を負わせるための儀式的な意味合いを持っていました。
また、古代ローマ帝国においても、手のひらを見せる行為が特定の文脈で否定的な意味を持つことがありました。例えば、ローマの民衆が競技場で皇帝に対して死刑の意を示す際に、手のひらを下に向けて親指を立てる「親指を下げる」ジェスチャー(諸説ありますが、手全体を見せる行為も関連付けられます)があったように、掌は力や権威、あるいはその否定を示す媒体としての役割を担っていたと考えられます。ギリシャの「ムンツァ」は、特に呪い、悪魔払いの反転、あるいは悪運をもたらすものと関連付けられることもあり、単なる「汚いものを投げつける」行為を超えて、相手に不運や災厄を願う象徴的な意味を帯びていました。
一方で、「停止」や「五」の意味合いはより普遍的で、人間の身体的特徴(指の数)や、危険を知らせる本能的な行動に由来すると考えられます。古代から現代に至るまで、危険が迫った際に手を広げて相手を制止する動作は、多くの文化圏で自然発生的に用いられてきたと推測されます。
意味合いの多様性と地域差・文脈差
このジェスチャーは、その文化的背景によって、全く異なる、時には対極的な意味合いを持ちます。
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ギリシャ、中東、アフリカの一部(ムンツァ): これらの地域では、掌を相手に向け、指を広げるジェスチャーは、最も強い侮辱の一つとされています。「くたばれ」「地獄に落ちろ」「お前を呪う」といった意味合いを持つ、非常に攻撃的な行為です。特に、手のひらを相手の顔の近くに突き出す動作や、両手を広げて行う動作(ダブルムンツァ)は、侮辱の度合いを一層強めます。ギリシャでは、このジェスチャーが原因で激しい口論や喧嘩に発展することさえ珍しくありません。これは、先述した歴史的由来、すなわち「汚名」を相手に与える行為と深く結びついています。
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北米、西ヨーロッパ、日本、オーストラリアなど: これらの地域では、前述の通り「停止」「拒否」「五」という中立的または機能的な意味合いが一般的です。
- 「停止(Stop)」: 交通整理や、人や物を一時的に止める際に用いられます。
- 「拒否(No)」: 相手の提案や要求を断る際に、首を横に振る動作と併用されることもあります。
- 「五(Five)」: 数を指す場合や、五という数字にまつわる文化的な意味合い(例:ファイブスター)で用いられることがあります。
- 「ハイファイブ(High Five)」: スポーツの試合中や友人間の挨拶、成功を称え合う際に、空中で相手と手のひらを打ち合わせる友好的な動作です。
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文脈による意味合いの変化: 同じ地域内でも、文脈や相手との関係性によってジェスチャーの意味合いは変化します。例えば、北米で友人と冗談で掌を向ける行為は許容されるかもしれませんが、知らない人に対して威圧的に行うと、当然ながら攻撃的な意図と受け取られる可能性があります。しかし、ギリシャにおいては、いかなる文脈でも「ムンツァ」は原則として避けるべきとされており、親しい友人との間でも、その使用は極めて慎重である必要があります。
タブー・誤解の可能性と異文化エチケット
このジェスチャーは、特に地中海地域や中東、アフリカの一部地域においては、最も重大なタブーの一つと認識されています。これらの地域で安易に掌を相手に向けるジェスチャーを行うと、以下のような深刻な誤解や衝突を招く可能性があります。
- 重大な侮辱と受け取られる: ギリシャなどで「ムンツァ」と認識された場合、相手は非常に強い不快感や怒りを感じ、場合によっては公衆の面前での口論、あるいは身体的な衝突に発展する危険性があります。相手の個人的な尊厳を著しく傷つける行為と見なされます。
- 敵意と解釈される: たとえ意図せずとも、このジェスチャーは相手に対する敵意や攻撃の意思と解釈されかねません。
- 文化的無知の露呈: 現地の文化や習慣に対する無知を示す行為として、相手に悪印象を与えてしまうでしょう。
異文化コミュニケーションにおけるエチケットとして、特に地中海地域、中東、アフリカの一部を訪れる際には、この「掌を相手に向けるジェスチャー」を絶対に避けるべきです。車の停止や道を尋ねる際など、どうしても停止の合図をしたい場合は、手のひらを相手に向けず、親指を立てて拳を握る「サムズアップ」や、掌を地面に向けるようにして腕を上下に振る動作、あるいは口頭で明確に意思を伝える方が安全です。また、写真を撮る際などに、不用意に手のひらを開いた状態でポーズを取ることも避けるのが賢明でしょう。
学術的視点と関連研究
掌を見せるジェスチャーの意味の多様性は、異文化コミュニケーション論、社会学、人類学、記号論、心理学といった多岐にわたる学術分野において重要な研究対象となっています。
異文化コミュニケーション論では、ジェスチャーのような非言語的コミュニケーションが、言語メッセージと同様に、あるいはそれ以上に文化的文脈に強く依存することを強調します。エドワード・T・ホールの高コンテクスト文化と低コンテクスト文化の概念に照らせば、ジェスチャーの解釈には、その文化が共有する暗黙の了解や歴史的背景が深く関わっていることが示唆されます。このジェスチャーが持つ意味の多様性は、デズモンド・モリスが提唱した「身振り記号学(Gesturology)」の主要な研究テーマの一つであり、特定のジェスチャーがどのようにして特定の意味を獲得し、文化間でどのように変容していったかを追跡する上で貴重な事例となります。
社会学や人類学の視点からは、ジェスチャーが社会規範、集団のアイデンティティ、あるいは権力関係をいかに反映し、維持する役割を果たすかが分析されます。例えば、「ムンツァ」は単なる侮辱にとどまらず、社会的な排除や非難の意思を公に示す象徴的な行為として機能してきました。これは、文化が個人の行動様式や感情表現にどのように影響を与えるかを示す具体例と言えます。
記号論的には、手のひらを相手に向ける動作は「シニフィアン(記号表現)」であり、その「シニフィエ(記号内容)」が文化によって「停止」「五」「侮辱」と多様に変化する、典型的な多義的記号と解釈されます。言語学においては、口語と並行して、あるいは補完的に用いられる身体言語としてのジェスチャーの役割が研究されています。
これらの学術的知見は、非言語コミュニケーションがいかに複雑で、文化固有の深い意味合いを持つかを浮き彫りにし、国際交流における異文化リテラシーの重要性を再認識させます。
まとめ
掌を見せるジェスチャーは、一見単純な手の動きに見えながらも、その意味するところは文化圏によって大きく異なり、友好的な合図から深刻な侮辱に至るまで多岐にわたります。特にギリシャや中東における「ムンツァ」の事例は、ジェスチャーの歴史的・文化的背景が、現代のコミュニケーションに如何に強い影響を与え続けているかを示す顕著な例と言えるでしょう。
このジェスチャーの多層的な意味合いを理解することは、単に誤解を避けるためだけでなく、異文化に対する深い敬意と理解を育む上で不可欠です。国際文化学部で学ぶ学生の皆様にとって、このような身体言語の探求は、異文化コミュニケーションの奥深さを知る貴重な手がかりとなるはずです。今後の国際交流や研究活動において、この知識が、より豊かで円滑な人間関係を築くための一助となることを願っています。
参考文献
- モリス, デズモンド. (1977). Manwatching: A Field Guide to Human Behaviour. Harry N. Abrams. (邦訳: 『マンウォッチング—人間行動学』, 小学館, 1980年)
- ホール, エドワード・T. (1976). Beyond Culture. Doubleday. (邦訳: 『文化を超えて』, 岩波書店, 1978年)
- 石井, 敏・久米, 昭元 (編著). (2009). 異文化コミュニケーション・ハンドブック. 有斐閣.
- ギリシャ文化省, 「ムンツァの起源とその社会的意味」に関する文化人類学研究報告書, 2018年. (架空)
- 「非言語コミュニケーションにおけるジェスチャーの多義性:地中海文化圏を中心に」『異文化コミュニケーション研究』第22号, 2023年. (架空)